歌舞伎の入場料はいくらぐらい? | パパ覚

歌舞伎の入場料はいくらぐらい?

今年の花粉は、昨年の10倍以上だそうですね・・・ あぁ イヤダ イヤダ・・・


さて、前回に引き続き歴史のお話。


今回は、


■ 江戸時代の華 歌舞伎の入場料っていくらぐらいだったの?


パパ覚


歌舞伎は日本を代表する古典芸能のひとつですが、江戸の人にとって歌舞伎の華と言われる程で、最高の娯楽であり最大の関心事だった ようです。


18世紀の半ばごろから盛んになったこの古典芸能を最初に興業したのは 中村座。


そういえば、もう左目は大丈夫なんでしょうかねぇ。 海老・・・ げふぉげふぉ・・・


さてと・・・ これを皮切りにありこちに芝居小屋が建てられましたが、先記事にもあった、1841年(天保12年)水野忠邦の改革により、芝居小屋は浅草近くの猿若町に集められました。


そして、武家や豪商から庶民までもが熱狂する娯楽と発展していきます。


当時の興業は朝6時頃から夕方4時頃まで。


少しでもいい席を確保したい庶民は、まだ夜も明け切らないうちから小屋の前に並んだといいます。


庶民が座るのは平土間(ヒラドマ)と呼ばれる一番安い枡席でした。


ひと枡の中にはだいたい7人ぐらいが定員でしたがお客が多いとそれ以上に詰め込まれることもありました。


出し物や出演者、あるいは時代によって見物料は異なるものの、現在の金額にして、およそ数千円といったところが相場だったようです。


ちなみに、現在では昼の部で一万から一万五千円ぐらいが相場と思われます。


一方、懐に余裕がある商人などは、チケットの手配をしている芝居茶屋へと向かいます。


そこで観劇用のよそいきに着替え、一番高い桟敷席へと案内されます。


ここは、今の価格にすると10万円以上する席です。


芝居茶屋は菓子や弁当を用意するなど、幕間には休憩所となり、芝居のあとには一席設ける場所として賑わいました。


このときに、ひいきの役者を座敷に招くこともできたそうです。


芝居茶屋を利用する人々は、見物料に加えて、飲食代まで奮発していたようですね。


桟敷席とは比べ物にならない金額だったとはいえ、庶民にとっては平土間でも決して安い料金ではありませんでした。


何カ月もお金を貯めて見に行く人もいましたが、実はその日暮らしの庶民でも手軽に歌舞伎見物を楽しめる席がありました。


それは、2階席の奥あたりにあった立ち見席です。


ここは、現在のお金で数百円程度だった為、芝居好きは毎日でも通うことができたようです。


相撲も同じような体系ですね。


さて、次回は 江戸神田八丁堀の住人栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)の珍道中、東海道中膝栗毛でも有名な旅が流行したのも江戸時代なので、これにはどれぐらいの費用がかかったのか? でお会いしましょう♪